米原万里展 [Gallery/美術館]
市川市芳澤ガーデンギャラリー
2010年5月9日まで
なぜか、行かなくてはいけないような胸騒ぎ。
普段は、閑静な市川真間が
人がゾロゾロ、ギャラリーに向かって歩き、
それはそれは大混雑した上野の美術館のようでした。
なぜこんな人だかりかというと、
先日急逝した井上ひさしさんの絶筆は、この米原万里展のあいさつ文だったことで、
新聞に大きく掲載されていたこと。
その上、この日は万里さんの妹であり、井上ひさしさんの奥様でもある
井上ユリさんの講演も予定されていたのです。
(案の定、残念ながらキャンセルでしたが)
展示は、生い立ちからの写真を中心に、ロシア語通訳の資料や、
原稿や、私物などで充実していました。
秀才で、すべてに長けていて、私とは何ひとつ違う、と羨望の眼差し。
その中で、驚いたのは、一枚の写真。
東京外語大学時代、万里さんは民族舞踊研究会を旗揚げし、
ロシア、ハンガリーなどの世界のダンスを研究、舞台にのせた。
やがてそれは、他大学へと広がっていった。との説明文。
私が学生時代注いできたことの原点は、この人だったんだ!
思わぬ発見。
ますます魅力的な人。
通訳をしながら天職を探し続け、
やっとそれを見つけたというのに、
早すぎる死は残念でなりません。
2010年5月9日まで
なぜか、行かなくてはいけないような胸騒ぎ。
普段は、閑静な市川真間が
人がゾロゾロ、ギャラリーに向かって歩き、
それはそれは大混雑した上野の美術館のようでした。
なぜこんな人だかりかというと、
先日急逝した井上ひさしさんの絶筆は、この米原万里展のあいさつ文だったことで、
新聞に大きく掲載されていたこと。
その上、この日は万里さんの妹であり、井上ひさしさんの奥様でもある
井上ユリさんの講演も予定されていたのです。
(案の定、残念ながらキャンセルでしたが)
展示は、生い立ちからの写真を中心に、ロシア語通訳の資料や、
原稿や、私物などで充実していました。
秀才で、すべてに長けていて、私とは何ひとつ違う、と羨望の眼差し。
その中で、驚いたのは、一枚の写真。
東京外語大学時代、万里さんは民族舞踊研究会を旗揚げし、
ロシア、ハンガリーなどの世界のダンスを研究、舞台にのせた。
やがてそれは、他大学へと広がっていった。との説明文。
私が学生時代注いできたことの原点は、この人だったんだ!
思わぬ発見。
ますます魅力的な人。
通訳をしながら天職を探し続け、
やっとそれを見つけたというのに、
早すぎる死は残念でなりません。
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